11.11.2014

美濃国際陶磁器フェスティバル2014

先月のことになりますが、前回行ったのはもう3年前のことなのだなとしみじみ思いながら、世界最大規模の陶磁器トリエンナーレに今回も0泊2日のバス旅で行ってきました!

友人が岐阜の学校に来て以来、4回くらいは訪れている気がしますが、節約の為にいつもバス旅。長距離バスの旅はかなり好きな方なので全く苦ではないのですが、早朝に着いてしまうので、まだどこも開いていないというのがいつもしんどいところ。今回は人生初の漫画喫茶で時間を潰し。無料でモーニングもいただいてお得気分^ - ^/ 名古屋バンザイ!

美濃国際陶磁器フェスティバルは今回でなんと記念すべき10回目だそう。
今までの歴史をボードにして紹介したり、過去の入賞作品を展示してあったり、社会と共に陶磁器の世界も進んできたんですね。これぞ、現代人が焼きものを愛し続けている歴史!?

あくまで公募展なので、これさえ見れば今の世界の陶磁器界が分かるというものではないと思いますが、色んな国の方が応募して来るので、多種多様な作品が観れるのが嬉しいところです。見たことないような作品にもたくさん出会えてとても満足でした。

そして、同時開催で「大織部展」も観ることができ、上手いことやってくれてるな~と大感激☆そしてすぐ近くの美濃焼ミュージアムでは加藤卓男展。 私が陶芸を始めたばかりのことから変わらずに好きなものこそ織部焼きと加藤卓男の三彩釉。だから、何度でもここに来てしまうんだなと。。。

そして更にもう1つの目的、友人の作品も出ている多治見意匠研究所の卒業生の10cm以内の小さな作品を集めた展示。作品は小さいけれど、ものすごい量の作品たちで、とても見応えがありました。最近の卒業生から、今は教授や講師、アーティストとして活躍している大御所の作品まで。意匠研の卒業生はアイディアの面白いものやデザインとして洗練しているものが多いなと実感させられます。学校によって特色がありますね。


さっと夜行バスで岐阜まで見たいものを見に来て、さっと東京へ帰る。そんな自由で平和な自分の境遇に感謝したいなと思いつつ。。。
しかし、次回3年後は新幹線に乗って優雅に来る自分でありたいのが本当のところなのでした(^_^;)

BAA2FB29-F820-4A86-B1F9-5B8CEEE62903


11.10.2014

益子陶器市2014

先日3年ぶりの益子陶器市へ行きました!!

あいにくの雨。。。でも、今は遠くに住んでる友達が里帰り中に一緒に行くので、気分は晴れ晴れ^ - ^

今日は陶器市初日ですが、人気の作家さんのテントほど品揃えが良くないようです。というのは朝から列ができて整理券を配布していたりするそうで、目ぼしいものからすぐなくなってしまうようです。すごいですよね!のんびり行くと嵐の後の静けさなわけです。

雨のせいで購買意欲もあまり沸かずして帰ってきてしまいましたが、いろいろな作品に出会えて、人に出会えて楽しい1日でした。

写真はお蕎麦やさんのテーブルの下にいた猫ちゃん。寒かったのか、鼻水をしたたらせていましたっっ

今度は晴れた日にゆっくりじっくりまわれたらなと思います^ - ^

11.09.2014

岡部嶺男展@智美術館

ホテルオークラの横にある菊池寛実記念 智美術館へ「岡部嶺男展」を観にいってきました!
正直なところ、名前は知っているけれど人物や作品についてはよく知らず。。。(~_~;) だからこそ行ってみなくては!?ということで観てきましたが、のびのびした力強い造形に圧倒されました。

作家によっては同じスタイルのものを追求する方も多いですが、岡部氏の作品は比較的に多彩だなと印象を受けました。黄瀬戸、織部、天目、青磁、亀甲釉など、様々な釉薬を使いこなしており、釉薬研究にもかなり力を注いでいたのではないでしょうか。

作品だけ見ていると、なんでもこなす優等生の様なイメージですが、人物としてはどんな人だったのでしょうか?

年譜を見ていて、「永仁の壺事件」というものも始めて知りました。重要文化財指定を受けた古陶が実は贋作だったという事件。岡部嶺男氏がその製作者は自分だと告白し、その告白の責任を取る為に実際に作ってみせ、誤った認定をした小山冨士夫氏に贈ったとのこと。年譜には淡々と書いてありますが、なんだか理解の範囲を超える激しい事がおこっているように思えました。。。^_^;

後でネットサーフィンしていたところ、贋作の作者については父親の加藤唐九郎や他の兄弟であるとか、諸説あるようですが、どうやらこのファミリーである事には変わりないようです (~_~;) 良し悪しは抜きにして、当時の陶磁器界や古美術界は大いに盛り上がったことでしょうね!!

またひとつ、奥深い日本の陶芸の世界を知ることができました^ - ^

そして、何度来てもここの美術館はステキです。特に係員の方の雰囲気がなんとなく好きです。いつか館内のフレンチレストランでも食事がしてみたいものです☆

11.05.2014

穴窯へ


群馬は榛名山の麓へ穴窯の窯出しへ行きました。今回で2回目ですが、窯出しはいつでもわくわくするものです^ - ^

私も1点ですが作品を入れさせていただきました。窯詰めや焚くのは完全にお任せで、窯出しだけ行くとは"いいとこどり"も良いところです^ - ^;
本当はやりたくて仕方ないのですが、仕事の休みがとれず。。。


穴窯は登り窯よりも古いスタイルの窯で、熱効率も良くないのですが、その分魅力ある焼き上がりとなるのでしょう。こちらでは強還元で赤土は黒く仕上がるので、信楽焼きなどとは全く違った風合いです。


自然の灰釉を被った器たちは、ひとつとして同じに仕上がらないのが魅力です。キラキラしていたり、ザラザラしていたり、いろんな表情を見せてくれます。

次回は窯詰めや窯焚きもやりたい〜>_<

9.21.2014

鳥取島根の民藝と焼きもの



先日、鳥取島根に旅行に行ってきました!!
この辺りは窯業地としてはあまり有名な場所ではありませんが、魅力的な民藝窯が点在しています。民藝好きの聖地のひとつと言えるのではないでしょうか。私も民藝に興味を持ち始めてから、いつか行ってみたかった場所の1つでした。

山陰の民藝を知ろうとすると必ず出てくる名前が吉田障也氏です。本職は耳鼻咽喉科のお医者さまだそうですが、柳宗悦の民藝思想に共鳴し、地元を中心としてその活動に尽力した方です。鳥取民藝館の入り口にその写真が飾られていました。彼がいなければ、民藝な鳥取もなく、私も砂丘しか見に行ってなかったことでしょう。

吉田氏は具体的に何をしたのかと言いますと、今で言うプロデューサー。焼きものに関しての一例として言えば、元々あった牛ノ戸焼という鳥取の焼きものの素晴らしさを見出し、その良さをどう残し、どう世の中へ出していくか。アドバイザー、デザイナーとして窯元の人たちとモノ作りに携わったそうです。



↑鳥取民藝館には、吉田氏が集めた山陰の民芸品を中心に展示されていました。とても雰囲気のある古い素敵な建物です。横には鳥取県内外の民芸品を扱うお店「たくみ」とその食器を使用したお料理屋さんもあります。




ちなみに、ここからすぐ近くにある「まちパル鳥取」という観光物産センターにも、鳥取の各窯元の品物が並んでいます。「たくみ」では扱っていない窯元の物もありますので意外に必見です☆

どちらも駅から歩いて行ける距離にありますので、鳥取市に行かれる際はぜひ!

9.11.2014

盛久(もりきゅう)in盛岡


光原社に続いて、友達が連れていってくれたのは「盛久」(もりきゅう)。もともとは老舗旅館だったそうで、今はギャラリーとして再オープンしています。

私が行った時にはカラフルでポップな平面作品を展示していました。老舗旅館のイメージからはかなり対照的で、そんな所に感心をしてしまいました。私のような頭の固いタイプがもしオーナーだったら、民藝イメージに馴染む作品のみに、、、としてしまいそうです。。。新しい古いに関わらず、良いものを大切にすることが、本当の民藝スピリットなのでしょうね。



旅館として営業していた時代には、柳宗悦、バーナードリーチ、棟方志功などなど、私もよく知る名前の方々がいらしていたそうです。看板の文字や中に飾ってある書も棟方志功のものだそう。

調べてみれば、盛久は昭和2年に及川正巳氏によって創業されたとのこと。及川正巳氏は光原社の創業者のお兄さんにあたります。
見学中に気さくに話しかけて下さったギャラリーを管理している女性の方、こちらの4代目館主の娘さんだったようで、つまり及川家の方だと知って後からびっくり(@_@)っっ

私もいつの日か、こんな歴史ある場所にあるギャラリーで展示が出来たらどんなに素晴らしいことだろう。。。と密かに思うのでした(*^^*)

9.07.2014

光原社 in 盛岡


先月、はじめて岩手へ行きました。新しい所へ行くたびに、世の中にはまだまだ自分の知らないことがたくさんあるんだなと気づかされます。

盛岡にも民藝の聖地があるとは!?その名も「光原社」。民藝品などのセレクトショップを出しています。東北をはじめてとし、海外の手づくり品も置いてありました。私自身民藝に興味があると言いながら、今まで知らないでいたのが恥ずかしいくらいの有名な所のようです。(*_*)


ここは宮沢賢治の「注文の多い料理店」を初めて出版した会社でもあることでも有名。敷地内には記念碑や関連展示もあったりします。当時はその本は全く売れなかったというのが、今では信じられない話ですね。この最初の出版は、光原社の創始者である及川四郎氏が、宮沢賢治の同窓生であったことがきっかけとなっているようです。光原社という名前も賢治氏が考案したそうです。




及川氏はその後、柳宗悦の民藝運動に共鳴し、世界のすばらしい手仕事の品を集めた光原社のお店を作られたそうです。盛岡市内には、南部鉄器のお店、絞り染めのお店、南部煎餅のお店などなど、昔ながらの素敵なお店がたくさん点在していて、これこそ光原社が発信してきた、「良い物をいつまでも大切にする気持ち」の現れなのかなと感じます。

柳宗悦の民藝運動は全国の様々な場所で今も息づいているんですね。。。ふむふむ。