9.21.2014

鳥取島根の民藝と焼きもの



先日、鳥取島根に旅行に行ってきました!!
この辺りは窯業地としてはあまり有名な場所ではありませんが、魅力的な民藝窯が点在しています。民藝好きの聖地のひとつと言えるのではないでしょうか。私も民藝に興味を持ち始めてから、いつか行ってみたかった場所の1つでした。

山陰の民藝を知ろうとすると必ず出てくる名前が吉田障也氏です。本職は耳鼻咽喉科のお医者さまだそうですが、柳宗悦の民藝思想に共鳴し、地元を中心としてその活動に尽力した方です。鳥取民藝館の入り口にその写真が飾られていました。彼がいなければ、民藝な鳥取もなく、私も砂丘しか見に行ってなかったことでしょう。

吉田氏は具体的に何をしたのかと言いますと、今で言うプロデューサー。焼きものに関しての一例として言えば、元々あった牛ノ戸焼という鳥取の焼きものの素晴らしさを見出し、その良さをどう残し、どう世の中へ出していくか。アドバイザー、デザイナーとして窯元の人たちとモノ作りに携わったそうです。



↑鳥取民藝館には、吉田氏が集めた山陰の民芸品を中心に展示されていました。とても雰囲気のある古い素敵な建物です。横には鳥取県内外の民芸品を扱うお店「たくみ」とその食器を使用したお料理屋さんもあります。




ちなみに、ここからすぐ近くにある「まちパル鳥取」という観光物産センターにも、鳥取の各窯元の品物が並んでいます。「たくみ」では扱っていない窯元の物もありますので意外に必見です☆

どちらも駅から歩いて行ける距離にありますので、鳥取市に行かれる際はぜひ!

9.11.2014

盛久(もりきゅう)in盛岡


光原社に続いて、友達が連れていってくれたのは「盛久」(もりきゅう)。もともとは老舗旅館だったそうで、今はギャラリーとして再オープンしています。

私が行った時にはカラフルでポップな平面作品を展示していました。老舗旅館のイメージからはかなり対照的で、そんな所に感心をしてしまいました。私のような頭の固いタイプがもしオーナーだったら、民藝イメージに馴染む作品のみに、、、としてしまいそうです。。。新しい古いに関わらず、良いものを大切にすることが、本当の民藝スピリットなのでしょうね。



旅館として営業していた時代には、柳宗悦、バーナードリーチ、棟方志功などなど、私もよく知る名前の方々がいらしていたそうです。看板の文字や中に飾ってある書も棟方志功のものだそう。

調べてみれば、盛久は昭和2年に及川正巳氏によって創業されたとのこと。及川正巳氏は光原社の創業者のお兄さんにあたります。
見学中に気さくに話しかけて下さったギャラリーを管理している女性の方、こちらの4代目館主の娘さんだったようで、つまり及川家の方だと知って後からびっくり(@_@)っっ

私もいつの日か、こんな歴史ある場所にあるギャラリーで展示が出来たらどんなに素晴らしいことだろう。。。と密かに思うのでした(*^^*)

9.07.2014

光原社 in 盛岡


先月、はじめて岩手へ行きました。新しい所へ行くたびに、世の中にはまだまだ自分の知らないことがたくさんあるんだなと気づかされます。

盛岡にも民藝の聖地があるとは!?その名も「光原社」。民藝品などのセレクトショップを出しています。東北をはじめてとし、海外の手づくり品も置いてありました。私自身民藝に興味があると言いながら、今まで知らないでいたのが恥ずかしいくらいの有名な所のようです。(*_*)


ここは宮沢賢治の「注文の多い料理店」を初めて出版した会社でもあることでも有名。敷地内には記念碑や関連展示もあったりします。当時はその本は全く売れなかったというのが、今では信じられない話ですね。この最初の出版は、光原社の創始者である及川四郎氏が、宮沢賢治の同窓生であったことがきっかけとなっているようです。光原社という名前も賢治氏が考案したそうです。




及川氏はその後、柳宗悦の民藝運動に共鳴し、世界のすばらしい手仕事の品を集めた光原社のお店を作られたそうです。盛岡市内には、南部鉄器のお店、絞り染めのお店、南部煎餅のお店などなど、昔ながらの素敵なお店がたくさん点在していて、これこそ光原社が発信してきた、「良い物をいつまでも大切にする気持ち」の現れなのかなと感じます。

柳宗悦の民藝運動は全国の様々な場所で今も息づいているんですね。。。ふむふむ。

9.05.2014

泥象 鈴木治の世界@東京ステーションギャラリー

走泥社の創設メンバーである鈴木治さんの回顧展を見に、東京ステーションギャラリーへ行ってきました。初期から晩年の作品まで内容の濃い展示でした。



走泥社は四耕会と並び戦後の日本の陶芸界に新しい流れを作った作陶家グループ。「焼き物でオブジェを作り始めた人たち」と私は理解しています。

今でも焼きものといえば、器をイメージする方が一般的。日本には茶の湯からの器を愛でる文化がありますので、それも当然のこと。戦前は特にそれが強かったことでしょう。戦後目まぐるしく変化していく社会の中で、焼きものの道を志す若者達は当時どんな事を考えたのでしょうか。。。特に、戦争を経験した人たちの考え方や感性は、平和な時代に生まれ育った自分たちにはない物があるはず。そしてさらに興味深いのは突然焼き物で立体を作り始めたアーティストというのでなく、まずはロクロ挽きをはじめとした器づくりをきちんと学んだ人たちであるというところ。イサムノグチにも影響を受けたとのことですが、彫刻家として粘土を扱うのか、焼きもの作家として扱うのかという根底の違いも大きいはず。

日本の焼きものをファインアートの領域へ導いたメンバーの1人として意識しながら、作品をじっくり追って観ることができました。陶芸の一時代を作った「走泥社」や「四耕会」、最近妙に興味をそそられるのです。素直にカッコいいなと感じる存在です。


「オブジェ」と聞くと、なかなか理解しがたいイメージで抵抗のある人も多いかと思います。でも、鈴木治さんの作品はシンプルで観る人にとても心地よいイメージを与えてくれます。タイトルを見れば、作品を観て頭を抱え込む事もありません。「そうか、馬か。」「なるほど、確かに鳥だ。」といった感じ。しかし、それだけで終わらずその先に「詠(うた)」を見出すのが鑑賞者の楽しみとなります。「使う陶から観る陶、更には詠む陶へ」というのが鈴木治さんのお言葉。


制作の様子が、会場内のビデオで流れていました。陶土の作品は紐作りでどんどん積み上げ、叩いたり削ったりして形を洗練していき、素焼き後に鉄分を多く含んだ化粧と、釉薬を薄く吹き掛け、電気窯で焼成して独自の赤い肌を出していました。氏は、青磁の作品も多く制作しています。ビデオでは、獅子の乗った蓋物をロクロ成形で作っている様子を見ることができました。

土の素材感を活かした陶土の作品、釉の美しさを活かした磁土の作品。この2つを同時にこなすのは、土や作業場の管理に注意が必要で、更には同じ窯ではたけないので手間もかかります。それでも、どちらかに絞ることもないのは、「焼きものだからこそできる表現」への追求なのではないかと、私は解釈しました。

個展に向けての制作半ばで体調を崩されるまで、ずっと現役で作陶を続けてきた鈴木治氏。きっとまだまだ人々に「詠」ませたい想いがたくさんあったことでしょうね。



今回はじめて東京ステーションギャラリーに行きましたが、受付の券売機システムがちょっと残念でしたが、それ以外はとても素敵でした。古いレンガがそのままむき出しになっていて雰囲気バツグンです。ギャラリーショップにもステキなグッズがいっぱいでした。また、興味のある展示があれば、ぜひ誰かを誘って行きたいなと思いました。