走泥社の創設メンバーである鈴木治さんの回顧展を見に、東京ステーションギャラリーへ行ってきました。初期から晩年の作品まで内容の濃い展示でした。
走泥社は四耕会と並び戦後の日本の陶芸界に新しい流れを作った作陶家グループ。「焼き物でオブジェを作り始めた人たち」と私は理解しています。
今でも焼きものといえば、器をイメージする方が一般的。日本には茶の湯からの器を愛でる文化がありますので、それも当然のこと。戦前は特にそれが強かったことでしょう。戦後目まぐるしく変化していく社会の中で、焼きものの道を志す若者達は当時どんな事を考えたのでしょうか。。。特に、戦争を経験した人たちの考え方や感性は、平和な時代に生まれ育った自分たちにはない物があるはず。そしてさらに興味深いのは突然焼き物で立体を作り始めたアーティストというのでなく、まずはロクロ挽きをはじめとした器づくりをきちんと学んだ人たちであるというところ。イサムノグチにも影響を受けたとのことですが、彫刻家として粘土を扱うのか、焼きもの作家として扱うのかという根底の違いも大きいはず。
日本の焼きものをファインアートの領域へ導いたメンバーの1人として意識しながら、作品をじっくり追って観ることができました。陶芸の一時代を作った「走泥社」や「四耕会」、最近妙に興味をそそられるのです。素直にカッコいいなと感じる存在です。
「オブジェ」と聞くと、なかなか理解しがたいイメージで抵抗のある人も多いかと思います。でも、鈴木治さんの作品はシンプルで観る人にとても心地よいイメージを与えてくれます。タイトルを見れば、作品を観て頭を抱え込む事もありません。「そうか、馬か。」「なるほど、確かに鳥だ。」といった感じ。しかし、それだけで終わらずその先に「詠(うた)」を見出すのが鑑賞者の楽しみとなります。「使う陶から観る陶、更には詠む陶へ」というのが鈴木治さんのお言葉。
制作の様子が、会場内のビデオで流れていました。陶土の作品は紐作りでどんどん積み上げ、叩いたり削ったりして形を洗練していき、素焼き後に鉄分を多く含んだ化粧と、釉薬を薄く吹き掛け、電気窯で焼成して独自の赤い肌を出していました。氏は、青磁の作品も多く制作しています。ビデオでは、獅子の乗った蓋物をロクロ成形で作っている様子を見ることができました。
土の素材感を活かした陶土の作品、釉の美しさを活かした磁土の作品。この2つを同時にこなすのは、土や作業場の管理に注意が必要で、更には同じ窯ではたけないので手間もかかります。それでも、どちらかに絞ることもないのは、「焼きものだからこそできる表現」への追求なのではないかと、私は解釈しました。
個展に向けての制作半ばで体調を崩されるまで、ずっと現役で作陶を続けてきた鈴木治氏。きっとまだまだ人々に「詠」ませたい想いがたくさんあったことでしょうね。
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