5.04.2014

伊賀焼 訪問記1

連休を利用して、伊賀と信楽を見に行ってきました。
伊賀と信楽は県は違いますが、車でほんの15分程度の場所に位置しています。
三重県に家族が住んでいるので、遊びに行きつつということで。。。

伊賀焼の里は田畑に囲まれ、のどかでのんびりしたところでした


まずは伊賀焼についてゆるめにお勉強。
伊賀と言えば忍者!そして俳人松尾芭蕉の出生地としても有名。
伊賀忍者も芭蕉もきっと使っていたのが、伊賀焼!?(・・・というのは勝手な想像です ;)
琵琶湖堆積層の粘土と、窯を焚くための薪が手に入りやすかったことから焼き物の産地として発展し、奈良時代から日用雑器などが作られていたそうです。


伊賀焼と聞いて私が一番先に思い浮かぶのは、豪快で歪んだ耳付きの花器。
薪の灰をたっぷり浴びた焼き締めの陶器が茶器として茶人に愛でられたことが、伊賀焼の名を有名にしている1番の理由であることと思います。領主の筒井定次は古田織部の弟子で茶人であったこともあり、この時につくられた伊賀焼は最高峰であったといわれています。
しかし永遠に茶陶の需要が続くわけもなく、時代の変化に対応できずに衰退していき、江戸時代に入って100年もの間途絶えてしまったそうです。。。



江戸中期に復興され、再び日用雑器を作りはじめました。耐熱性のある粘土の特徴を生かして土鍋の生産もさかんに行われています。特に最近では土鍋で作る料理の美味しさが見直されてきていますよね!現代のガスコンロの火力にも耐えられるように開発がされているおかげなのです。特に有名な長谷製陶さんでは、デザイン性の高い土鍋もたくさんあって本当に驚きました。料理好き男子の為の男子鍋とか・・・気合が入ってますね。
私もいつかは伊賀のオシャレ土鍋を手に入れたいと思いつつ。現在はあまり自分で料理をしないためお預け。。。


ところで、「伊賀焼と信楽焼はどう違うのか?」という質問は、定番中の定番のようですが、私もやはり聞きたかったので伝統産業館の方や窯元の方に聞いてみました。

土のタイプも同じで焼き方にもこれといった大きな違いもなく、歴史的にたどっている道も似ており、見分けのつかないものも多いのが実際のところのようです。あえて言うなら、ビードロ釉(緑色っぽくガラス化した灰)が色濃くたっぷりかかっているものが多いとか。。。
特に現在はどこの地でも様々な焼き物が作れますので、なかなかきっちりとは分けられないものですし、分ける必要もないのかとは思います。ただ、素材や見た目ではなくその奥の精神的なものに何か違いが見いだせたら面白いのでないかと思うところ。
忠央窯さんにて。伊賀焼らしい茶陶をはじめ日用食器など様々な作品を作っていらっしゃいました


あとで読んだ本(※1)によれば、桃山期の茶陶には形の違いが大きくみられるとのことが記されていました。信楽は千利休好みの「無作為の美」、伊賀は古田織部好みの「人工美」とのこと。なるほど!!私は織部焼が好きだから、伊賀の茶陶の力強く大胆な造形に魅かれるんだ~!!となっとく致しました。

そんな私が一目惚れして買ったのが新学さんという陶芸家の方のお皿(左)。確かに織部っぽさがある!産伝統業会館の方によれば、こちらは灯油窯で焼いた作品だそう。


右は忠央窯さんで購入した丸皿。粒の粗い粘土とビードロ釉が素敵です。


つづきは伊賀焼訪問記2にて・・・


参考図書;
※1 美しい和食器の旅
京都・信楽・伊賀 およびのその周辺 清水元彦(編) リブロポート社





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